子供の頃になりたかったもの
2005-10-27(Thu)
子供の頃……小学生、いや、中学生辺りから今もなりたいものはかわっていなかったりするのでそこは伏せて(苦笑)
幼稚園のころまでさかのぼろう。
その月生まれの人誕生会なんてコトを幼稚園ではしてくれたのだけれども、会では「なりたいもの」の名前と絵を紙に描いて飾ることになっていた。
綺麗な文字はたいしてかけないので、殆どの子供は先生に「なりたいもの」を宣言して書いてもらうスタイルだったと思う。
「ぱるちゃんは、何になりたいの?」
と質問をされて、何を思ったか当時の私は
「んとね、飛行機のパイロットになりたいの」
と言った。
何故かは解らない。
多分、母親辺りが「飛行機のパイロットになると、色んなところに旅行できて、家族とかも連れていけたりするのよ」とか訳のわかんねぇコトを吹んだせいだろうと思う。
「そうしたら、お母さんも連れて行ってね」
「うん」
という他愛ない会話だったに違いない。
だから、保母さんに訊かれたときも自信を持って答えた。
「飛行機のぱいろっと」
幼き私を置いて保母さんは一瞬固まり、「女の子はパイロットにはなれないのよ。だから、スチュワーデスさんね」
と説得をされた。
「それ、飛行機運転するの?」
一瞬にして「スチュワーデス」の言葉を忘れるほど、当時の私には難しい言葉に感じた。
難しいけど、一瞬はパイロットの女性名称かと思った。
「ううん。しないよ」
じゃあ、パイロットじゃねぇじゃねぇか。
何をするんだ。
幼稚園児ごときに「スッチー」の意味が解るはずもない。
訳もわからないまま、先生の「スチュワーデス」の文字の横にご指定どおり女性の絵を描いた。
腑に落ちなかったのを覚えている。
違うのだ。
私がなりたいのはパイロットであり、けして良くわからない言語の職種などではないのだ。
と、幼いながら思うものの、気弱だった当時は大人の意見に流されるまま「うん」とかしぶしぶ頷くしかすべを知らなかった。
しぶしぶふてくされながら家に持ち帰った「スチュワーデス」の文字と怪しげな女性の絵は、リビングに飾られることとなった。
「やめて」
という発想も至らない子供だったが、見るたびに読めるか読めないかすれすれのラインをいく長ったらしいスッチーの名称に苛立ちを覚えた。
「違うのに」
家に親戚が集まるたび、「私のなりたいものはスッチー」として受け取られ、
「じゃあ背を伸ばさなくちゃね」
「英語を話せるようにならないとね」
と、何も知らない大人たちは私を見てにこにこ言うのだった。
幼いながらに、なりたかったパイロットには絶対になれないことと、スッチーにはなりたくもないこと。
だから英語を勉強しても背を伸ばそうとしても、何の役にも立たないこんだとか、すげぇダークな思考をシビアに持っていた気がする。
今から考えると、パイロットにそうあこがれていたとも思えないし、飛行機がすきでも、乗り物が好きなわけでもなかった。
だから別に良かったんだろうけど・・・・・・
今でも覚えてるあの「やるせなさ」ってことは。
当時は意味もなくすげぇなりたくてショックだったんだろうなって。
「今月誕生日の人会」で「なりたいもの」を否定されたのはなんたって私だけだったしね。(遠い目)
幼稚園のころまでさかのぼろう。
その月生まれの人誕生会なんてコトを幼稚園ではしてくれたのだけれども、会では「なりたいもの」の名前と絵を紙に描いて飾ることになっていた。
綺麗な文字はたいしてかけないので、殆どの子供は先生に「なりたいもの」を宣言して書いてもらうスタイルだったと思う。
「ぱるちゃんは、何になりたいの?」
と質問をされて、何を思ったか当時の私は
「んとね、飛行機のパイロットになりたいの」
と言った。
何故かは解らない。
多分、母親辺りが「飛行機のパイロットになると、色んなところに旅行できて、家族とかも連れていけたりするのよ」とか訳のわかんねぇコトを吹んだせいだろうと思う。
「そうしたら、お母さんも連れて行ってね」
「うん」
という他愛ない会話だったに違いない。
だから、保母さんに訊かれたときも自信を持って答えた。
「飛行機のぱいろっと」
幼き私を置いて保母さんは一瞬固まり、「女の子はパイロットにはなれないのよ。だから、スチュワーデスさんね」
と説得をされた。
「それ、飛行機運転するの?」
一瞬にして「スチュワーデス」の言葉を忘れるほど、当時の私には難しい言葉に感じた。
難しいけど、一瞬はパイロットの女性名称かと思った。
「ううん。しないよ」
じゃあ、パイロットじゃねぇじゃねぇか。
何をするんだ。
幼稚園児ごときに「スッチー」の意味が解るはずもない。
訳もわからないまま、先生の「スチュワーデス」の文字の横にご指定どおり女性の絵を描いた。
腑に落ちなかったのを覚えている。
違うのだ。
私がなりたいのはパイロットであり、けして良くわからない言語の職種などではないのだ。
と、幼いながら思うものの、気弱だった当時は大人の意見に流されるまま「うん」とかしぶしぶ頷くしかすべを知らなかった。
しぶしぶふてくされながら家に持ち帰った「スチュワーデス」の文字と怪しげな女性の絵は、リビングに飾られることとなった。
「やめて」
という発想も至らない子供だったが、見るたびに読めるか読めないかすれすれのラインをいく長ったらしいスッチーの名称に苛立ちを覚えた。
「違うのに」
家に親戚が集まるたび、「私のなりたいものはスッチー」として受け取られ、
「じゃあ背を伸ばさなくちゃね」
「英語を話せるようにならないとね」
と、何も知らない大人たちは私を見てにこにこ言うのだった。
幼いながらに、なりたかったパイロットには絶対になれないことと、スッチーにはなりたくもないこと。
だから英語を勉強しても背を伸ばそうとしても、何の役にも立たないこんだとか、すげぇダークな思考をシビアに持っていた気がする。
今から考えると、パイロットにそうあこがれていたとも思えないし、飛行機がすきでも、乗り物が好きなわけでもなかった。
だから別に良かったんだろうけど・・・・・・
今でも覚えてるあの「やるせなさ」ってことは。
当時は意味もなくすげぇなりたくてショックだったんだろうなって。
「今月誕生日の人会」で「なりたいもの」を否定されたのはなんたって私だけだったしね。(遠い目)
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しまいました。










